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ピンクレディー未唯(mie)は解散後なぜ3億円の借金を背負った理由や現在は?

こんばんは♪くまオタkeimyデス(・ω・)☆

「ペッパー警部」でデビューし 一世風靡したピンク・レディー

斬新な振付と衣装から 1970年代 爆発的なブームを起こしました

解散後の現在も 芸能活動を続けていらっしゃいますが ピンクレディー解散後 未唯mieさんは3億円もの借金を背負う事になったと言われています

いったい未唯mieさんに何があったのでしょうか?

そこで今回は

★ピンクレディー未唯(mie)の借金は3億円
★ピンクレディー未唯(mie)が多額の借金を背負った理由
★ピンクレディーのWikiプロフィール
★ピンクレディー未唯(mie)のWikiプロフィール
★未唯(mie)の現在は?

★ピンクレディー増田恵子(ケイ)のWikiプロフィール

これらについてまとめていきたいと思います

ピンクレディ未唯mieが3億円の借金?

ピンクレディー解散後 「ぜひアメリカで一緒に仕事をしよう!」と現地のプロデューサーからお誘いを受けていましたが、幼少期からとても厳しかった父に「お世話になった所で尽くしなさい」と移籍に反対され断念しました

その後1987年(29歳の時) 同世代のミュージシャン仲間に誘われて独立いたしました。

さて、ミュージシャン仲間達と新会社を設立し大きく利益を出していたにも関わらず、なぜ3億円もの借金を背負う事になったのでしょうか?




3億円の借金を背負った理由は?

それまで地道な活動をしてきた仲間達にとっては、ミーさんが仕事で得てくるお金は桁違いのものだった為か、仲間達に派手に使われてしまいました

その事により、3億円もの借金を抱えしまう事になりました

未唯さんは経営に興味がなかったせいもあり、他人任せだった為にこういった事態になるまで気が付かなかったのでしょう。

弁護士に相談すると自己破産を勧められ、会社を畳んで大きな事務所に入り直して再出発すればいいと言われましたが、また何かに頼って生きていくのか?そんな生き方でいいのか?と思い
33歳の時借金だらけの会社を自分の手で経営する事を決意し、努力して3年間でほぼ全額借金を完済いたしました。




ピンクレディ

引用:Twitter

ピンクレディーミーとケイの女性デュオです。

2人の出会いは 中学2年生の時で、ミーの中学校にケイが転校し演劇部に入った際に知り合いました。

デビュー当時は今までになかった、手足を露出したキラキラ光る生地のミニの衣装とリズムやビートを強調した曲調の歌謡デュオに変えた事で、当初は品がないという見方をされていました

大胆に太ももを開いたりと 激しくセクシーなダンスであった事から、当初は成人向け深夜番組の出演が多かったのですが、子供達が振り付けを熱心に覚えて真似をし始め、老若男女に幅広く人気を獲得されました。

ピンク・レディーの2人の初任給は5万円でしたが1980年ごろには月給350万円になりました。

所属事務所社長は「20歳の娘に350万円の月給を出し 5000万円のマンションを買い与えた」と語っていましたが、実際は本人達の給与からマンションの「家賃」が月々天引きされており、事務所を信頼して預金通帳を預けていた為解散の頃まで気がつかなかった事を後に話していました。




ピンクレディーの経歴

引用:Victore entertainment

【1973年】15歳
・ヤマハ音楽主催のオーディションに2人そろって合格

【1974年】16歳
・「クッキー」名義でヤマハ主催のポプコン東海地区大会決勝に進出し「恋のレッスン」を披露

【1976年】18歳
・「スター誕生!」に出演
・「ペッパー警部」でピンクレディーとしてレコードデビュー
・デビューシングル「ペッパー警部」は売上60万枚
・「第18回日本レコード大賞」新人賞を受賞
・「S・O・S」でオリコン1位を記録

【1977年】19歳
・「カルメン’77」でオリコン1位を記録
・「渚のシンドバッド」でミリオンセラーを記録
・「ウォンテッド(指名手配)」でオリコン12週連続1位を記録
・「第19回日本レコード大賞」で「S・O・S」「カルメン’77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」をノンストップメドレーで歌い「大衆賞」を受賞
・「UFO」でミリオンセラーを記録

【1978年】20歳
・「第20回日本レコード大賞」で大賞を受賞
・「サウスポー」でミリオンセラーを記録
・「モンスター」でミリオンセラーを記録
・ブロマイドの年間売上人気No.1を獲得
・「カメレオン・アーミー」でオリコン1位を獲得
・「第29回NHK紅白歌合戦」への出場を辞退
※チャリティー番組「ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!」に出演

オリコンシングルチャート連続首位記録が9曲となりました

【1980年】22歳
・解散を発表

【1981年】23歳
・後楽園球場で解散コンサートを開催

レコードが大ヒットするだけでなく 人気が高まるにつれ 2人がプリントされたキャラクターグッズが多数販売され ピンク・レディーの存在は 巨額の経済効果をもたらせました

オリコンシングルチャートにおける通算首位獲得数(63週)は 2015年 B’zが記録更新するまで最高記録でした

※ピンク・レディーは9曲で通算63週を達成 B’zは47曲で通算64週を達成!

 




紅白歌合戦辞退によりバッシング

1978年に前代未聞の紅白歌合戦出場辞退により マスコミから激しいバッシングを受けた上、 事務所のトラブルや本人達の熱愛報道等もあり人気が低迷し始めました。

解散コンサート当日は悪天候だった事もあり、空席が目立っていました。

今まで比較されてきた1978年キャンディーズの解散コンサートが超満員だった事とも比べられ、寂しい結果に終わりました

ピンクレディーが稼いだ金額は、おおよそ500億円とも言われていますが、実際に所属事務所に入ったお金は50億円ほどです。

そのお金も制作費等の出費により全て消えてしまい、当時の事務所はピンクレディ解散後まもなく倒産してしまいました。




ピンク・レディ 再結成

引用:ORICON NEWS

解散後はそれぞれ女優やタレントとしてソロ活動をされていましたが、ピンクレディーとしては 1984年・1989年・1996年・2003年・2010年 と期間限定で何度も再結成されています。

再結成で出てくる度に「何で体系変わらないの」と驚きました!

【1989年】31歳
・「第40回NHK紅白歌合戦」に出場 Winkと共演

【1990年】32歳
・「第41回NHK紅白歌合戦」に出場

【2000年】42歳
・「第51回NHK紅白歌合戦」に出場

【2003年】45歳
・2年間限定で全国ツアーを実施

【2005年】47歳
・コンサート・ツアー「ピンク・レディー メモリアル・コンサートVol.3 LAST TOUR Unforgettable Final Ovation」を開催

【2010年】52歳
・最初の解散宣言から ちょうど30年後「解散やめ!」宣言で5度目となる再結成

【2011年】53歳
・チャリティーイベント「初陣式」を決行
・全国ツアーをスタート

【2017年】59歳
・「第59回日本レコード大賞」に出演 「ペッパー警部」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」のメドレーを披露

【2018年】60歳
・「第60回日本レコード大賞」に出演 「UFO」「S・O・S」「渚のシンドバッド」「サウスポー」のメドレーを披露

【2019年】61歳
・「映画 妖怪学園Y 猫はHEROになれるか」の主題歌として15年ぶりの新曲となる「メテオ」の採用を発表

【2020年】62歳
・「第6回 光り輝く60代以上に送られるプラチナエイジスト賞」にピンク・レディーが選出




未唯(mie)のWikiプロフィール

引用:Instagram

・芸名:ミー・MIE・未唯・未唯mie
・本名:根本 美鶴代(ねもと みつよ)
・生年月日:1958年3月9日(2023年2月現在 64歳)
・出身地:静岡県葵区

未唯(mie)の経歴

【1976年】18歳
ピンク・レディ
としてメジャーデビュー

【1981年】23歳
・解散後 ソロ歌手・タレント・女優等 幅広く活躍

【1987年】29歳
・独立

【1998年】40歳
・アニメタルのプロデューサーと結婚

【2004年】46歳
・離婚

 


引用:Instagram

未唯さんは2023年11月24日のInstagramで、美しすぎるベリーダンス姿を投稿していました。

とても65歳には見えませんよね♪




増田恵子(ケイ)のWikiプロフィール

引用:Instagram

・芸名:ケイ・増田けい子・増田恵子
・本名:桑木 啓子(くわき けいこ)※旧姓:増田
・生年月日:1957年9月2日(2023年2月現在 65歳)
・出身地:静岡市葵区

増田恵子の経歴

【1976年】18歳
ピンク・レディーとしてメジャーデビュー

【1981年】23歳
・増田けい子として ソロ歌手デビュー

デビュー曲の「すずめ」がオリコンチャート8位を記録し 全日本有線放送大賞特別賞を受賞その後 芸名を増田恵子に改名し 女優としても活躍

【1988年】30歳
・パリに渡ってシャンソンを学び 翌年の1989年 フランスデビュー

【1991年】33歳
・バセドゥ病を発症

【2002年】44歳
・音響会社「ギルド・ジャパン」社長と結婚

【2004年】46歳
・夫が自己破産



ピンクレディ未唯mie まとめ

ピンク・レディーの人気絶頂期は1976年から1978年までの3年間 社会現象とまで言われるほどの人気で 移動中しか眠る時間がなかった程 忙しかった様です

解散後 独立した会社で 人任せにしてしまった為に 浪費され 3億とゆう借金を背負う事になりましたが 頼りっぱなしの人生を粉飾したく 努力し 借金返済に全力を注がれた様です

やはり 若い時はピンクレディとして 一般人には考えられないほど忙しくされており お金の事はすべて人任せだったそうですし「世間知らずだった」とご本人も言われています

未唯mieさんは離婚されており 現在独身ですので バリバリ仕事に打ち込んでいらっしゃる様です

増田恵子さんは 夫の会社が倒産しても 献身的に支えられ 子供が居ない為 夫婦2人仲良く暮らしている様です

一世風靡した ピンクレディ の様なユニットはもう出て来ないかもしれませんので日本の宝ですよ♪2人とも60歳過ぎてるのに あの美貌と体系 凡人にはマネできない努力の賜物だと思います どうかお身体に気を付けて これからも日本に元気と勇気を与えてください♪

最後まで読んでくださり ありがとうございました (・ω・)/