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イギリス人は何故ガーデニング好きなのか?庭への情熱とルーツとは?

引用:GardenStory

こんばんは♪くまオタkeimyデス(・ω・)☆

イギリスはガーデニング大国と言われています イギリスは趣味のランキングが常に上位で ある園芸協会の統計では 何かしらのガーデニングをしている人は 人口の50%以上だそうです

日本でもガーデニングを趣味とされている方は多くいらっしゃいますが イギリスの比ではないですね

イギリスの居住スタイルは 日本のアパートに住んでいる人からすると 考えられない程 豪華とゆうかとっても華やかです

家屋も含め 建物に対するこだわりも強いそうですが 特に庭やガーデニングに対するこだわりは日本人にはないこだわりがあり そんなに大きくない家でも花壇の配置や花のカラーバリエーション等 趣向を凝らした庭を持っている方が多く居る様です

さて今回は なぜイギリス人はそんなに庭に拘るのか ルーツなどをまとめていきたいと思います♪

イギリスとガーデニングの関係

引用:世界遺産オンラインガイド

イギリス人がガーデニングに目覚めたのは18世紀に遡ります 植物との関係はイギリスが世界の国々を植民地にし その影響力を拡大していくのと並行して イギリスのガーデニングも発展していきました

ガーデニング大国であるイギリスは 実は固有の植生は とても貧しいらしいです 19世紀の園芸家J.C.ラウダンによると元来イギリスに自生した樹木はおよそ200種で そのうちの半数はバラ・イバラ・ヤナギである為それを除けば100種しかないそうです その為16世紀以降にイギリスが海外に進出していき その植生の豊かさを見聞きする内に 熱帯や亜熱帯・地中海性気候の豊かな植物への強い憧れを抱く様になりました




ヨーロッパ人のライフスタイルを変えた植物

熱帯原産の植物

  • 黒胡椒・ナツメグ・カルダモン・クローヴ等のスパイス
  • コーヒー・お茶・タバコ・ココア・砂糖等の嗜好品
  • インディゴ・コチニール等の染料

これらの植物はヨーロッパ人のライフスタイルるほど重要なものになっていき 製造業の原料としての需要を生み出しました その為これらの植物を手に入れる事=富を手に入れる事となりました




植物を支配する為の植民地帝国

各地へ進出したヨーロッパ諸国は熱帯の植物を支配する為 これら空間・時間・人を支配する必要がありました

その為 供給を安定的にするには支配してしまえばいい!とされたわけです

軍隊を派遣し 現地の政治勢力を排除し 植民地としての政治機構を構え 人と資本を送り植物を栽培し イギリスへ輸送して市場へ供給する という植民地の形を樹立させました




植物の移植

クローヴとナツメグが欲しかったイギリスですが オランダに遜るのはプライドが許さなかったのでしょう

重要植物物産品を盗んだり奪ったり分けてもらい 自分が抱える植民地に移植して栽培しようという計画が構想される様になりました

イギリスは国をあげて重要植物の確保に乗り出します

1745年「技術・製造業・商業の奨励の為の勧業協会が設立されました この団体は イギリス経済が必要としている技術上の革新に対し 奨励金を出してその課題の解決を広く求める為の組織でした

勧業協会は帝国内で自給する必要がある植物(上記に挙げたスパイス・嗜好品・染料になる植物等)をピックアップしていきます

勧業協会はこれらの植物の種子をイギリスに持込んで栽培したものに奨励金を出し その栽培を手助けするために「植民地植物園(Provincal Garden)」を設置しました

ロンドンの商人ジョン・エリスは 新大陸での植民地植物園の構想を練りました 当初北アメリカでの植物園建設を目標としていましたが頓挫し 1765年西インド諸島のセント・ヴィンセント島で植物園が設置される事になりました

島の南部の渓谷に 多種多様な有用植物が栽培されました 植物園の目的は有用植物を西インド植民地に導入する事で 主に南北アメリカで栽培されていましたが スペイン人やフランス人の手にある植物を一同に集め 西インド諸島の土地に普及させる事でした

その後の植民地植物園の開設しています。

  • 1775年 ジャマイカ
  • 1786年 インド・カルカッタ
  • 1789年 マドラス
  • 1791年 ボンベイ
  • 1800年 マレーシア・ペナン島
  • 1812年 スリランカ
  • 1816年 オーストラリア・シドニー
  • 1818年 タスマニア

拡張するイギリスの緑辺に植物園は置かれ 各地の植物の収集・導入や栽培実験・気候順化を続け 植民地行政に協力しました

これらの植民地植物園は有用植物の普及栽培が主な目的でしたが 収集・栽培した植物を本国イギリスの植物園へ移送する事も大きな目的のひとつでした




イギリス植物文化の象徴 キュー植物園

引用:世界遺産オンラインガイド

17世紀後半より 北米植民地からイギリスに北米産植物が大量に流入するようになりました

国民は 珍しい北米産の植物を買い求め 貧しいイギリスの森林に植えて楽しむ様になりました

貴族や上流階級にとっては 広大な森を切り開き豪華な邸宅を建て その周辺を色鮮やかな人工森に作り変える事がステータスとされていき 北米大陸産の針葉樹・灌木・花木を植えて外部の田園と一体化するような庭園デザインを作り 優雅に馬や徒歩で散策し 色とりどりの植物が織りなす風景を楽しむ様になりました

産業としての植物栽培鑑賞のための植物栽培がイギリス人の植物愛の根本です この2つが統合したイギリス植物文化の象徴といえるのが世界遺産であるロンドンのキュー植物園です

キュー植物園は 元々は王室の為の施設で 国王や王妃が草花を愛でる為だけに使われていましたが1841年に王立から国立に移管され 公開される事になりました

この植物園の運営を任されたのが植物学者のジョゼフ・バンクス氏でした

国王ジョージ三世に キュー植物園を世界最高の植物園にする様命令されたバンクス氏は スコットランド出身のプラントハンター フランシス・マッソン氏を方々に派遣して植物の収集を行わせました

マッソン氏以外のプラントハンターも オーストラリア・中国・コンゴ等へ派遣され 世界中のあらゆる植物がキュー植物園に集まりました イギリスの固有種は200種程だったのに 1813年には1万種を超える植物が集まったと言われています

キュー植物園の次に出来たロンドン植物園は「農業・工業に益する植物の有用知識の普及」という高尚な目的のための設立された施設です

この植物園では 貴族達が閲覧する為の「植物目録」を発行したり 植物園で栽培される外国産の希少な種子や苗の配布を受ける事ができ その収益で運営されていました

貴族達は 苗を地元の農民に配布して栽培を奨励するとゆう目的でも植物園に通いましたが 自分でそれを育てて楽しむ「園芸趣味」の人も多くいたそうです

この様な植物園は

  • 1802年にリヴァプール
  • 1812年にハル
  • 1817年にグラスゴー
  • 1829年にマンチェスター
  • 1832年にバーミンガム
  • 1840年にリーズ

等 19世紀以降イギリス各地の都市に作られていきました

都市生活者を中心に園芸を楽しむ人が多くなってきた事が理由でしたが その背景には急速な都市化に伴い「自然への回帰」を人々が求めた結果でした

産業革命で工業化が急速に進み 田舎で農業を営んでいた者が都市に移り住み 汚い空気・濁った水・狭く暗い家・貧しい食事・・・と生活環境は劣悪していきました そんな中 労働者達は 以前住んでいた田舎を思い出し 花の栽培に励む様になったそうです そして 庭だけでなく 部屋の中にも観賞用の植物を持ち込む様になりました そのきっかけとなったのがウォード氏が考えたウォーディアン・ケースというガラス箱です

引用:吉田観賞魚本店

ほぼ密閉された箱は 最初に水を与えておけば 中のシダ植物がいつまでも枯れずに生命を保つとゆうものです

あっとゆう間にウォーディアン・ケースは大人気となり 家の中に作られた小さな世界は 見るものを自然のノスタルジーに誘い込みました ウォーディアン・ケースの人気のおかげで 1850年代 イギリスではシダが大ブームとなり 庭園に植える事はもちろん 家具や絨毯・食器・窓・天井等 室内のあらゆる場所にシダがあしらわれました

19世紀イギリスは 外から植物をかき集め 経済成長遂げる一方 外国から入ってきた珍しい植物より 昔から身近だった地味な植物に心を動かされる人々がいました

富を追い求め続けたイギリスは 結局何を得られたのでしょうか?またイギリスらしさとは何なのでしょうか?




イギリス人のガーデニング愛とルーツ まとめ

イギリス人がガーデニングに目覚めたのは18世紀 イギリスと植物との関係は 世界の国々を植民地にし その影響力を拡大していく様と並行してイギリスのガーデニングを発展する事になりました

元々自国で有する植物に乏しかったイギリスは 他国を支配し 他国から植物を取り入れていきましたが 結局の所 憧れからだったとゆう事なのでしょう

現在のガーデニングに至るまでの歴史はとても長く 国民性とも言えますね 日本人もイギリスの庭園に憧れている方はたくさん居ます 自宅やカフェ等 イギリス庭園風の庭にされていらっしゃる方も お見かけします 逆に日本庭園は外国人の憧れだそうで 結局は自国にはないものに憧れを抱くとゆう事なのでしょう・・・

最後まで読んでくださり ありがとうございました (・ω・)/