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アンコール王朝は なぜ滅亡した?世界遺産が眠るカンボジアの魅力

引用:Instagram

こんばんは♪くまオタkeimyデス(・ω・)☆

まだまだコロナ渦ではありますが 水際対策も緩和され カンボジアへの旅行も規制なく行ける様になりましたね♪
さて今回は アジア旅行大好きKeimyを虜にした世界遺産であるアンコールワットに施された神がかりな仕掛けや魅力や かつてなぜアンコール王朝が滅亡したのか?など
カンボジアのれきしやみりょくについてまとめていきたいと思います!

アンコール王朝は なぜ滅亡したのか?

アンコール王朝=クメール王朝は 9世紀~15世紀まで東南アジアに存在していた王国で 現在のカンボジアにあたります

東南アジアにおいて 9世紀から約600年の間 大きな栄華を極めたクメール人(カンボジア人)のアンコール王朝は15世紀に滅亡しました 600年続いたアンコール王朝はなぜ滅亡してしまったのでしょうか?

クメール王朝は 802年頃 ジャヤーヴァルマン2世王が 国内での権力争いを制し プノン・クーレン丘陵で王位即位を宣誓しました これがクメール王朝の始まりです

その後 幾度となく王位継承を巡り 争いを繰り返し 隣国のベトナム・タイ・ラオス・モンゴル等との争いもありましたが 東南アジアで勢力を拡大していきました

12世紀末 ジャヤーヴァルマン7世の時代にクメール王朝は最盛期を迎えます

現在のタイ東北部 ラオスおよびベトナムの それぞれの一部をも領有していました ジャヤーヴァルマン7世はそれまでの王が掲げていたヒンドゥー教ではなく 仏教を信仰し アンコールトムを始めとする 仏教寺院を建立しました また農業の振興もはかり 強大な勢力となっていきました

その中でも ジャヤーヴァルマン7世が死去した後は 激しい後継者争いが行われ クメール王国は弱体化していきます





アンコール王朝滅亡と宗教の関係

アンコールワットは 12世紀に造られました その後1431年 アンコール王朝は現在のタイで14世紀に興ったアユタヤ王朝の軍による侵攻で陥落し 600年続いたアンコール王朝は終わりを迎える事となりました

802年 アンコール王朝が始まってから 隣国との争いは絶えず 幾度もの争いを繰り返しながらも 勢力を拡大していったツケが回ってきたのか 隣国のアユタヤ朝に侵攻され 陥落する事になってしまった事もいたし方ない事の様に思います

とはいえアンコール王朝が600年も続いた事は どれほど脅威的な勢力と支配を誇っていた事か 想像に足りません

滅亡した理由について

元々歴代の王はヒンドゥー教を信仰していましたが ジャヤヴァルマン7世は ヒンドゥー教ではなく仏教を推進した事が大きく関係しているのではないか?と言われています

ジャヤヴァルマン7世が即位して以降 アンコール王朝においてヒンドゥー教寺院ではなく 仏教寺院の建設が進んでいきました

それまでアンコール王朝は 歴代の王がヒンドゥー教の信仰を元に 神々と交信し 現世を支配する神たる存在として君臨することで 人々の信仰を集めていました すなわちヒンドゥー教は アンコール王朝が存続する基盤でした しかしジャヤヴァルマン7世が即位して以降 仏教に様変わりした事で 王政や その支配体制に変化があったのではないかと言われています

ほかには ジャヤヴァルマン7世ほどの政治力を持った後継者が現れなかった事も 衰退していった理由ではないかとも言われています

ジャヤヴァルマン7世の次に即位したジャヤヴァルマン8世は 再びヒンドゥー教を勧め それまで寺院に彫刻された仏彫刻を破壊するなど 強行的な支配を行い 再びヒンドゥー教回帰をはかりましたが 一度仏教に回帰したことで 上座仏教が庶民の間に浸透しており その後のアンコール王朝の王政に影響を与えたとゆう事ではないでしょうか?







カンボジア王国

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英語表記はCambodia 正式名称は カンボジア王国 東南アジアのインドシナ半島南部に位置しています 首都はプノンペン 通貨はリエル 人口1671万人

南はタイランド湾に面しており 西はタイ・北はラオス・東はベトナム 国民の90%以上がクメール語(カンボジア語)を話し 仏教(上座部仏教)を奉ずるクメール人(カンボジア人)です




日本との関係性

日本とカンボジアは非常に友好な関係が築けています

日本は1992年以降 2010年時点で19.6億ドルを援助し カンボジアにとって最大の開発援助国となっています またペルシャ湾派遣に続く2度目の自衛隊の海外派遣・カンボジア派遣が行われており 自衛隊は 定期的にカンボジアに対して地雷除去を主とする能力構築支援事業を実施しています

2007年 日本とカンボジア両政府は投資の自由化や促進に関する日カンボジア投資協定を締結

日本政府は地雷除去や教育の分野で大きな援助を行なっています また日本は1993年にアンコール遺跡救済国際会議を東京で開催し 以降この会議で設置されたアンコール遺跡保存修復国際調整委員会(ICC)で 日本はフランスとともに共同議長を務めています

日本の援助で 1963年にプノンペンにカンボジア日本友好橋が作られました 2001年にはメコン川に きずな橋・2015年には つばさ橋が作られました

2014年 発行された500リエル札には きずな橋つばさ橋が日章旗と共に描かれています




カンボジアの世界遺産と観光名所

・アンコールワット(世界遺産)
・神が宿る寺院
・水上集落
・幻の巨象が眠る聖なる山

これらの魅力に迫っていきたいと思います!




アンコール・ワット(世界遺産)

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カンボジア北西部に位置する ユネスコの世界遺産であるアンコール遺跡の一つであり その遺跡群を代表する巨大な寺院がアンコールワットです 建設時はヒンドゥー教寺院として作られましたが 16世紀後半 仏教寺院に改修され 現在も上座部仏教寺院となっています

クメール語でアンコールは王都 ワットは寺院を意味する為 アンコール・ワットは「国都寺院」とゆう意味になります

大伽藍と美しい彫刻を特徴としており クメール建築の傑作とされ カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれています




神が宿る寺院

カンボジアには 観光で是非行ってみてほしい寺院がたくさんありますのでご紹介いたします

・タプローム寺院
・プレアヴィヒア寺院
・プノンバケン寺院

 

タプローム寺院

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首都シェムリアップにあるアンコールワット遺跡群の中のひとつで 12世紀に建造された寺院には ガジュマルやカポックの木の根が建物の外壁に覆いかぶさっています 寺院の周りはジャングルが広がり オウムが飛び回っている光景がとても神秘的です 入口付近には屋台もあるので 楽しめますよ

プレアヴィヒア寺院

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世界遺産であるプレアヴィヒア寺院は タイとの国境付近にあるヒンドゥー教寺院で 9世紀末の頃クメール人によって建築されました「プレアヴィヒア」とはクメール語で「神聖な寺院」を指しており 神聖な雰囲気が漂っています

参道には5つの楼門があり 美しいレリーフが施されています 中でも南の門のレリーフはヒンドゥー教の天地創造神話「乳海攪拌」が描かれたものであり 非常に神秘的です!

プノン・バケン寺院

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夕日が美しい事で有名なプノンバケン寺院は アンコールワット近くの小高い山の山頂にあります アンコール遺跡群に囲まれた丘の上に建っているので ジャングルが広がる風景に沈む夕陽がとてもキレイで感動します!しかしこの寺院に登るには かなり急な階段を登らなければならないので 心して臨んでくださいw でもがんばった後のご褒美は絶景です!




不思議な水上集落の生活?

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高床式住居が連なる水上の村「コンポンプルック」

東南アジア最大級の湖「トンレサップ湖」は まるで海のように水平線が見え この湖で糧を得る人々の中には水上生活をする人がたくさん居ます

水深10mも増減する湖に合わせ 超高床式の家々が並ぶ村が点在しています

高床式住居は一番深いときに合わせて建てられているので 床の高さは約10m!雨季は家からボートで移動しています

反対に乾季になると湖畔の大半は水が引いてしまうので 床を持ち上げている柱が何本も見え 不思議な光景です

乾季には道路も普通に歩けますし 子供達が路上で遊んでいる光景を見る事もできます

住居の中には湖面に浮かぶ水上家屋もあり その数は約2万戸以上もあります

水上に学校や病院もあり カンボジアに行かれる方は 是非この不思議な光景を観に行ってください♪




幻の巨像が眠る 聖なる山

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幻の巨象「スラードムライ」が眠るプノンクーレン!

スラードムライとは象・獅子・牛等の巨像の事です

プノンは山 クーレンはライチ とゆう意味ですので その名の通りライチの木が生い茂る大きな山です

プノンクーレンはアンコール遺跡群の一環として紹介される事が多く 寺院や遺跡もありますが 観光とゆうよりは 公園内にある滝つぼで川遊びを楽しんだり ピクニックを楽しむ場所ですので 現地の人達も たくさん遊びに来ています

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アンコール王朝滅亡とカンボジアの魅力 まとめ

アンコール王朝が滅亡したのは 戦争・侵略を繰り返した事とヒンドゥー教の信仰と仏教の信仰に人々が振り回された事になるのではないでしょうか?

しかしながら アユタヤ朝による侵攻が行われた後 アンコール・トムは陥落し一時的に放棄されたものの アンコールワットを含む それ以外の領地では絶える事なく人々の生活の跡が残されている事もわかっており アンコールトムにおいても 一部改修が行われた事がわかっていますので アユタヤ朝はアンコール王朝を侵攻したものの 侵攻後もクメール人を重用し 彼らの文化や技術を尊重し 融合する形で王国の統一をはかったのではないか?とも考えられています

元々はヒンドゥー教寺院として造られたアンコールワットも 16世紀頃には仏教寺院として再建されていおり アンコール王朝陥落後も アユタヤ朝の仏教徒が ここに居住を構え 守り続けていたのではないかと思います

最後まで読んでくださり ありがとうございました (・ω・)/